翻訳と辞書
Words near each other
・ 大フィンランド
・ 大フットンダスペシャル
・ 大フーガ
・ 大フーガ (ベートーヴェン)
・ 大ブエノスアイレス都市圏
・ 大ブッシュ
・ 大ブリテン
・ 大ブリテン島
・ 大ブリテン王国
・ 大ブルガリア
大ブルガリア (中世)
・ 大ブルガリア (政治概念)
・ 大ブルガリア主義
・ 大ブルガリア公国
・ 大プリニウス
・ 大プー
・ 大ヘイ
・ 大ヘイ郷
・ 大ベルタ
・ 大ベルト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大ブルガリア (中世) : ウィキペディア日本語版
大ブルガリア (中世)[だいぶるがりあ]

大ブルガリア(だいブルガリア)、または古い大ブルガリア(ブルガリア語: / ''Stara Velika Balgariya''、ギリシャ語:)は東ローマ帝国の歴史書に登場する用語で、7世紀クブラト( / ''Kubrat'')によるヴォルガ川下流からドニエストル川までの範囲のカフカース山脈北部・ステップ地帯の支配を指し示す〔Theophanes,Op. cit., p. 356-357 〕。オノグリア(Onoguria / Onoghuria)とも呼ばれる。
== クブラト ==
クブラト(クルト Kurt あるいはフヴラト Houvrat とも)は有力氏族であったドゥロ家(en)の出身で〔Nominalia of the Bulgarian khans〕、ブルガール人の指導者としての正当な継承権をもっていた。クブラトのおじのオルガナ(Organa)がブルガール族の摂政を務めていた間、クブラトは東ローマ帝国で若い時代を過ごし、教育と洗礼を受けた〔John of Nikiû, ''Chronicle'' 〕。
628年ごろ、クブラトは故郷に戻り、おそらくアヴァール人カガンの承認の元、ブルガール人の指導者となった。やがてクブラトはアヴァールによる支配からの脱却を図り、西突厥からも脱却した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大ブルガリア (中世)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.